父の命日
昨日は父の命日にだった。
亡くなったのは2002年8月14日。
昨日と同じく、とても晴れた日だった。
大学生だった私は、コンビニエンスストアで深夜のアルバイトをしており、夜勤中に母から電話が鳴り、早朝にアルバイトを終えるとすぐに病院へ向かった。
病院へ着くと父は安らかな表情を浮かべており、母と私と本妻の方と心電図計が「0」になるのを見守っていた。
(「本妻の方」については、また別の機会に)
「0」になった瞬間に「生」が「死」に変わった。
生きている人間が死んだ人間となったのだ。
父がICUへ入って、気管切開したのはそれからひと月ほど前だ。
ずっと苦しそうだった。
あの日に、父が生きている苦しさから解放されたような気がして、私がホッとしたのは今でも覚えている。
私も生きていて苦しい瞬間は沢山ある。
死ぬことよりも生きることの方が苦しいのかもしれない。
けれども、生きていないと感じることができない幸福があることも事実だ。
五体満足で生きていられるのは父と母のおかげだ。
昨日は、川崎市にある夢見ヶ崎動物公園へ子どもたちと一緒に行ったが、その際に、同じ敷地にある天照皇大神へ参拝した。
読み方は「てんしょうこうたいじん」と言うらしく、天照大神と撞榊厳魂天疎向津姫命が並祭されている珍しい神社らしい。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に登場する神で、、皇室の祖神・日本国民の総氏神・太陽の神格化した神である。
撞榊厳魂天疎向津姫命はまたの名を瀬織津姫と言うらしい。読み方は「つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめのみこと」とのこと。
天照大神の荒御魂にあたるらしい。
神道について、それほど詳しくはないが、身近にある神社には様々な神様が祀られており、実に奥深いと感じる。
何れにしても、参拝を通じて、父との思い出を思い返すことのできる良い機会となった。
一緒に参拝してくれた妻にも感謝。
妻に父を会わせたかったなぁ。